「AI創薬」という言葉はさまざまな文脈で使われるが、科学技術振興機構 研究開発戦略センター(JST-CRDS)「研究開発の俯瞰報告書(2023年)」による定義が最も包括的かもしれない。つまり、標的探索や医薬品候補物質の最適化など、創薬研究の各段階の効率を目的として、広義のAIを適用する技術の確立や、それら要素技術の統合を通じて、創薬研究のあり方そのものを変革する試みのことだ。ここで「広義のAI」とは、機械学習のみでなく、従来人間が行っていた高度な判断をコンピュータによって代替する広範な技術や研究分野を指す。

 去る5月8日にはAlphabet-Google傘下のGoogle DeepMindが開発したAlphaFold(AF)3の論文が公開され、「AI創薬」の強力なツールとして世界的な注目を集めた。そこで、❶AF開発の背景、❷AF3の実際、❸日本における「AI創薬」への動きを紹介する。

※なお、『 』内に示した文中の用語を記事の最後にまとめたのでご参照いただきたい。


■他グループを圧倒したAF2の立体構造予測

 AF開発の背景には、半世紀以上にわたって世界の研究者が取り組んできた“protein-folding problem”がある。そこに稀代の天才が現れたことで、解決への糸口が見えてきた。


【タンパク質の折り畳み問題】タンパク質は、20種類のアミノ酸間の引力と斥力によって“自発的に”折り畳まれて固有の立体構造を形づくり生体内で機能を発揮するが、折り畳みのプロセスはブラックボックスの中だった。米国の生化学者C. Anfinsenは1961年、タンパク質が最終的な立体構造をとるのに必要な情報が一次構造にコーディングされていることを示唆。1972年のノーベル化学賞受賞スピーチで「いつか、アミノ酸配列だけから、あらゆるタンパク質の3次元構造を予測できるようになるだろう」と述べた。その後、X線結晶構造解析あるいは、核磁気共鳴分光装置や低温電子顕微鏡(クライオ電顕)等を用いた解析が行われてきたが、多大な労力、時間と費用を要するものだった。


【CASPでの連続優勝と相次ぐ受賞】AFが華々しく登場した舞台は『CASP』。計算構造生物学(computational structural biology)によるタンパク質立体構造予測手法の評価と発展のために、1994年から隔年で行われている国際コンテストだ。主催者は、立体構造は未解明だが上述のような構造解析が進行中で、近く三次元座標が決定されそうなタンパク質等の配列情報とモデリングのカテゴリを提示。それをもとに、参加者(研究グループ)が予測の精度を競う。CASP1(第1回)は参加グループ数、予測標的数ともに30余りだったが、直近(22年)のCASP15には100グループが、127の標的・5つのカテゴリに対し、53,000以上のモデルを提出した。

 Google DeepMindの初代AFは18年に行われたCASP13のRegular Targets部門で優勝(参加グループ名A7D)。CASP14で連続優勝した際(参加グループ名AlphaFold2)は、実験的な構造予測とほぼ同等という他を圧倒する予測精度を示して一躍脚光を浴びた。このバージョンは21年7月にAlphaFold v2.0として無償公開され、同年末にはScience誌の“The Breakthrough of the Year 2021”に選ばれた。さらに、AlphaFold開発の立役者であるDemis Hassabis氏(Google DeepMind CEO、共同創業者)とJohn Jumper氏(同社Director)は、「タンパク質の3次元構造を予測する革新的な技術“AlphaFold”の発明に対して」23年のアルバート・ラスカー基礎医学研究賞も受賞した


【AFにつながったゲーム開発手法】1976年に北ロンドンで生まれたHassabis氏は、まさに天才だ。24年4月のトークイベントで語った内容によると、彼は子どもの頃から「現実の根本的な性質」や「意識とは何か」に関心があり、「科学的発見を加速するためにAIを役立てること」を目標に、生涯をAIと汎用人工知能『AGI』に捧げる覚悟という。

 同氏は“チェスの神童”として名を馳せた10代で初期のチェスコンピュータに触れて「コンピュータが脳と同じことをできるか」に興味を抱き、人気シミュレーションゲームを開発。ケンブリッジ大学でコンピュータサイエンスを学び、2年飛び級で卒業。数年間ゲーム関連企業の仕事に携わった後、2009年にユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで認知神経科学の博士号を得た。

 DeepMind Technologiesを立ち上げたのは翌2010年。まずはゲーム開発でアイディアとアルゴリズムを試した。コンピュータ囲碁プログラムAlphaGoは、何百万のゲームを自分自身と対戦する『深層強化学習』を通じて、かつてないアイディアや戦略を生み出した。また、どんな2人用ゲームもこなすAlphaZeroは、文字通りゼロからインターネット上で行われている人間のゲームを全て学習させ、24時間ほどで世界チャンピオンレベルに進化したという。

 14年にはGoogleが同社を買収し、その額は500~700億円相当と報じられた。AFの開発は16年、AlphaGoが世界最強のプロ棋士に勝ち越した直後に開始。前述のように18年以降、タンパク質の立体構造研究に大きな変化をもたらした。同氏は、23年4月にAlphabetの自社ラボGoogle BrainとDeepMindが合併してGoogle DeepMindとなってからも、引き続きこの部門を率いている。同社は、AFの他にも『マルチモーダルAI』のGeminiをはじめ、複数のAIプロジェクトを担当している。ただ、ChatGPTの出現で、Googleは23年に社内緊急事態を宣言したと報じられており、厳しい競争の最前線にいるのも事実だ。